梅の最期。
その前に梅らしい大好きな一枚。

体調を崩してちょうど一ヶ月で旅立ちました。
-時系列的に-
8/27:夜、どこか様子がおかしい。以前からだが水を飲むとむせる。
8/28:歩行もふらつき、眼振も見られ受診。
加齢による前庭疾患の疑い、ステロイド朝晩1錠ずつ服用スタート。
薬も問題なく服用。
ふらつきは残るものの、眼振は治まり、適度な食欲、運動もあり。
9/2:同薬量にて、加えて7日間服用。問題なく経過。
9/8:薬量半分に。14日間朝晩2分の1ずつ服用。問題なく経過、足取りも気持ち軽快に。
9/23:薬量さらに半分に。朝晩4分の1ずつ服用。
ただ息が深く、荒くなるのと鼻水が出るのを伝える。
肺、心臓、腹に水が溜まっていないか質問。念のためレントゲン撮影。
今年6月の健康診断時の画像と比べるが特段問題なし。
9/24:やはり症状が気になり、薬量を少し戻すべきか電話で確認。了承を得て戻す。
食欲はあるが、深夜に呼吸が荒めなのが気になる。
9/25:朝から食欲なし。夕方くらいから、水を飲むのに動くだけで息が上がる。
かなり負担がある様子。回復の兆しが見えず、悪化するばかり。
深夜に鼻くそ発見、もしかすると鼻腔の詰まりを疑う。
そのまま病院に電話をして深夜の受診。
鼻腔に詰まりはないが、唇や歯茎など粘膜に赤みがなく青白く、貧血気味。
抗生剤、気道を緩める注射。
酸素室で預かりたいと言われたが、取り敢えず連れ帰る。
9/26:全く食事を受け付けない。
相変わらず少しの歩行で息が上がり、うずくまり酸欠状態。
朝何とか薬だけ与えるが舌が真っ青のチアノーゼ状態。
兄妹の大左エ門も呼吸器障害で他界したが、よく似た症状なのでharuさんに連絡。
当時の酸素グッツを即行で持ってきてくれる。
酸素を鼻腔チューブで送ると、かなり軽減。酸欠回復を重視。
もともと右肺が機能していないため、今までの状態が奇跡だと言われ続けていました。
何故、突然呼吸が困難になったかは分からないが、全身の筋力の衰えが疑わしい。
入院中に万が一ってことだけは避けたいし、
このまま自宅で酸素室レンタルで酸欠を軽減していきたいが、
実際全く食事を受け付けず、薬の服用も難儀。
このままでは悪化していき衰弱してしまう。
発症後、体力の残る今であれば、治療ができるのか?
これを逃せば治療のチャンスはなくなると懸念される。
よく二人で話し合い、夕方に主治医へ相談。
主治医も同感、そして今すぐ死ということは無いと思うと、、。
自分たちも同じ心境でした。
完治は約束できないが、酸素無しで苦しいのであれば、
院内の高濃度酸素室で過ごし、もしかしたら他の原因があるかもしれない。
様子を見ながら検査、治療、措置ができる。
治す、回復する事を重視し、退院後、自発呼吸と酸素をうまく使い、
日常を過ごせるまでに回復できることに賭けてみました。
もちろん、これ以上の回復が見込めないと判断する時は、
遅すぎないタイミングで帰して欲しいと伝えました。
そのまま預けて帰ろうとすると、
梅は酸素室に入ったそのままの伏せ状態で、お尻を向けていました。
9/27 9時半:病院から電話。
朝の健診の際、診察台の上で突然悪化し心臓が止まりかけているとの連絡。
即病院へ向かうがそこには診察台の上に人工呼吸器を付けた梅が横たわっていました。
何らかの原因で肺が膨らまなくなってしまったのだと思うとの院長のお話でした。
自発呼吸ができない梅。
これが梅の最期です。
何をどう伝えるのか難しかったので時系列にしました。
肺に爆弾を持っていたのでいつかこんな日が来るとは覚悟しておりましたが、
呼吸も儘ならず苦しむ梅を前に、自分らがあたふたと何も出来ずに、
声掛けるだけが精一杯で見送ることは情けない話、正直したくありませんでした。
梅が苦しむ顔だけは見たくなかった。
確かに後悔に近いものはあります。
一番傍に居てあげなきゃいけない時に居てやれなかった。
その点だけ大きな悔いではありますが、
もし自宅で看取ったとしても、これもまた深い後悔に繋がったと思います。
また25日深夜の時点で病院に託していれば、
回復したかもしれないし、たとえ急変しても蘇生できたかもしれないと。
だけど現実、設備が整った病院で医師が5人居ても梅を救うことができなかった。
だからどれを選択していても後悔はあったと思います。
梅には淋しい思いをさせてしまいましたが、
私たち夫婦にとってはこの最期は受け入れ易い形だったと、今は思えます。
10歳を超えてからいつ最期が訪れても悔いが残らぬように接してきました。
看取れなかった、そばに居てやれなかった以外は何も思い残すことはございません。
梅もそうであったと思いたいです。
25~27日の3日間は梅自身は苦しかったと思いますが、
飼い主にとってどこか願っていたピンピンコロリの最期であったとも思えます。
ここまで赤裸々に綴る必要があるのか迷いもありましたが、
このブログでしか通じていない梅ファンの方々が居ます。
ずっと長い間、訪問して頂き、応援してくれた大切な方々。
その方々にも大好きだった梅の最期を知ってもらい、
また梅の最期が誰かのお役に立てれば少しは心が救われるかと綴ることにしました。
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